夏越の祓、水無月を食べた
京都に引っ越してきてわかったのは、京都の人は伝統行事が大好きだということ。
一年の折り返しである6月30日の夏越の祓に向けて、ひと月前から百貨店やスーパーではこれでもかというほどに水無月を売り始めている。
伊勢丹の和菓子売り場には水無月特設コーナーが設置されて、平日の夜でもかなり売れていた。亀屋良長の夏限定のキラキラ羊羹を横目に、しかしためらいなく、私は仙太郎へ。店のお姉さんに「お決まりですか」と聞かれると、あっ決まってないヤバイと思いながらも口が勝手に動く。「水無月のしろ、抹茶、黒糖、ぜんぶ一つずつください」甘党の本領が発揮された瞬間だ。
「夏越の祓」とは、この半年間の穢れが禍として降りかかる前に、あなたの穢れを清めましょうねという神道の行事。二十四節気によくある「○○の日には△△を食べて一年の健康を願いましょう」と比べると、われわれは穢れる前提、禍はいつか降りかかる前提と、かなりパンチが効いている。神道のはずなんだけど、キリスト教国の罪の文化と似ている気がする。
そして水無月についてもふれておく。
夏に氷が手に入りづらかった頃、高貴な人々は氷をひとかけ口に含んで健やかな一年を過ごせるよう祈っていた。
しかし庶民には手が届かないので、代わりになるものを考えた結果「ういろうって氷っぽくない!?」「ほんまや!じゃあ豆(小豆)も入れとこうよ、魔滅って言うし!」……ただのダジャレである。
そんな昔の人々のダジャレのおかげで、仙太郎の水無月にありつけた。
これがもう、今まで食べた水無月とは比べ物にならない。おいしい。震えるほどおいしい。もっちりしている。お土産もののういろうは、正直粉っぽさ?を感じるけど、仙太郎のういろうはひたすらにもちもち。まるでお風呂上がりの赤ちゃん!
そして、白いういろうはほとんど味らしい味がしないものだけど、そのおかげで際立つ小豆のちょうどいい甘さとホクホク感。えーん、おいしい。10個くらい食べたい。
仙太郎のおやつはよく手土産に購入するんだけど、包になっている「和菓子歳時記」を読むのが楽しい。あれ、何十年も使いまわしてるのかな。画像検索してみたら、今日の和菓子歳時記と全く同じ原稿が、平成六年のものにも使われていて笑っちゃった!